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 登山道の各所には御嶽神社で護持する神社の他、行者により勧請された神仏や、行者や御嶽講の信者を祀る霊神場が各所に点在し、神仏習合の信仰が色濃く残されています。

これらの神社や祠、霊神場や御神像などは当社にて護持し、お祀りしております。

 

別殿(べつでん)
御祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大己貴命(おおむなちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

 御嶽山の麓、王滝村にて22代宮司が営む滝旅館内に神殿が祀られています。この神殿は、別殿と称され、宮司により恒例祭や祈祷が執り行われています。
室町時代から続く社家である滝家には、中世以降の古文書、宝物類、祝詞など御嶽信仰に関わる資料が保管され、滝旅館は、島崎藤村の『夜明け前』に登場する「宮下家」のモデルになるなど藤村と大変ゆかりが深いことから、島崎藤村展示室が設けられています。

 

里宮(さとみや)
御祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大己貴命(おおむなちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
御嶽山1合目、車道より臨む大鳥居をくぐり、木曽五木が茂る樹林の中を、500年は超える数々のご神木を左右に見ながら451段の石段を登ると荘厳な立岩の下に里宮の社殿が建立されています。
代々宮司を司る滝家に伝わる「当社記録」によると、文明16年(1,484年)に現在の地に岩戸五社と小社が再興されました。岩戸権現と称され御嶽座王権現38座の一座に数えられ、御嶽神社の中心的役割を果たしています。
社殿の中には、島崎藤村の「夜明け前」に取り上げられた天狗の面の額や江戸時代初期からの多くの絵馬が奉納されています。岩座(いわくら)に対する信仰からここで行者が参篭し修行をしました。

 社殿の裏に聳える立岩から流れ出る御神水は、「信州の名水・秘水」に指定され、絶えることなく湧き出ています。
 また、境内には数多くの末社が鎮座していますが、中でも昭和44年に建立された霊神社(れいじんしゃ)には、御嶽山に信仰を尽くした行者や信者のみたまが毎年あらたにお祀りされ、霊神として信仰されています。

 

講祖本社(こうそほんしゃ)
御祭神 普寛霊神(ふかんれいじん)
覚明霊神(かくめいれいじん)
一心霊神(いっしんれいじん)
一山霊神(いっさんれいじん)

 里宮の大鳥居より山上へ車道を進むと左手に社殿が祀られています。
大滝村は、普寛行者による王滝口登山道の開闢により、様々に大きな恩恵を授かってきました。その遺徳を称え建立された普寛堂は、明治26年開山百年を記念して、松越山中より現在の地に遷座されました。
その後、覚明霊神、一心霊神、一山霊神が祀られ講祖本社と称しました。
現在の社殿は開山200年を記念して、平成8年に新築されたものであります。

 

 

一心堂(いっしんどう)
御祭神 一心霊神(いっしんれいじん)
御嶽山2合目に建てられた、一心行者を祀る霊場であります。
一心行者は普寛行者の最後の弟子で、本明院2代目を継ぎ、清滝において千日の参篭苦行により法力を成就したと伝えられています。
毎年、大勢の信者を導き御嶽山に登拝し、体得した行法や作法をもとに信者の育成に努め、信州や関東各地に多くの信者を得て、御嶽信仰の普及に偉大な足跡を残しました。

 

清滝(きよたき)
御祭神 清滝不動尊(きよたきふどうそん)
清滝弁財天(きよたきべんざいてん)
御嶽山4合目までの道中にあり、滝は車道からも眺めることができます。
一年を通じて水行の行場として利用され、御嶽講の信者たちは、清滝や新滝で水行の軽精進をし、頂上へ登拝します。
冬場には、新滝と共に、滝の水が凍り付き荘厳な氷瀑を目にすることができます

 

新滝(しんたき)
御祭神 新滝不動尊(しんたきふどうそん)
御嶽山4合目までの道中、清滝とは尾根一つ隔てた森の中にあります。
滝の裏側には大きな洞窟があり新滝不動明王、八大龍王が祀られており、洞窟より滝を見ることができるので、裏見滝とも呼ばれています。
滝の傍らには行者堂があり、行者たちがお堂に籠り、修行する姿が見かけられます。

 

十二大権現(じゅうにごんげん)
御祭神
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

 御嶽山4合目に鎮座し、江戸時代後期に普寛行者が富士山の神「木花開耶姫命」を勧請して祀ったと伝えられています。
子授け、安産、子育ての御神徳があり、ご神前に奉納されている人形のお守りを借りて帰り、祈願成就した後、人形を倍作り奉納する慣わしでありましたが、近年は人形の代わりに猿ぼこを使い、祈願成就の後、猿ぼこを12個奉納するようになりました。

 

八海山神社(はっかいさんじんじゃ)
御祭神
国狭槌尊(くにさづちのみこと)
別名 八海山提頭羅神王(はっかいさんだいづらしんのう)

 御嶽山5合目に鎮座し眼病平癒の御神徳があります。普寛行者は弟子の泰賢行者と越後国八海山を開闢し、その後八海山に祀られる提頭羅神王(国狭槌尊)を御嶽山の黒石原に勧請したことから八海山神社と称します。
国狭槌尊は水の徳をあらわすといわれ、社殿裏に沸く御神水で目をすすぐと眼病が平癒すると伝えられています。
また、境内には八大龍王、縁結びと恋愛の仏として知られる愛染明王、及び摩利支天が祀られています。

 

 

 

 

三笠山神社(みかさやまじんじゃ)
御祭神
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
別名 三笠山刀利天(みかさやまとうりてん)
御嶽山7合目。御嶽山を間近に臨む三笠山頂上に鎮座し、道中安全、交通安全の御神徳があります。
普寛行者が、この地に刀利天(豊斟渟尊)を勧請しました。刀利天は火と竈の神として信仰されている三宝大荒神と同体とも、帝釈天と同体ともいわれています。
この山は遠くから覆笠のように見えることから三笠山と称され、田の原からの登山道は今なお原生林におおわれた霊域で、半僧坊薩、青龍大権現、秋葉大権現、阿留摩耶天、妙見大菩薩など数多くの神仏が祀られています。頂上に鎮座する三笠山神社は、令和2年7月、品川元講により社殿が再建されました。
三笠山からがいよいよ本山(ほんやま)といわれ、下界の日々の生活の反省と登拝への決意を新たにする場所でもあります。

 

田ノ原大黒天(たのはらだいこくてん)
御祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
御嶽山7合目。御嶽山を正面に見る田の原天然公園入口の鳥居をくぐり登山道を暫く進んだ右手に鎮座しています。大国主命は、御嶽神社の主祭神である大己貴命の別名であり、商売繁盛、福徳開運のご神徳があります。

 田ノ原は、昔より神の「御田の原」と呼ばれたとおりの湿地帯で、一面に覆われたハイマツの中に厳しい風雪に耐えた樹木や、池が点在し、雄大な御嶽山の山容を一望できます。また、公園内の遊歩道からは、北アルプスや木曽駒ケ岳を遠望することができます。

 

遥拝所(ようはいじょ)
御嶽山7合目の田の原大黒天よりさらに奥へ平坦な登山道を進み、愈々坂道が始まる直前、標高、約2,200メ-トルに当社主祭神の御神像が建立されています。
昭和54年、御嶽山の噴火により頂上へ登拝ができなくなったことから、頂上奥社を正面に遥拝できる地に建立されました。
この遥拝所までは、登山の届出なく軽装備でご参拝いただくことができますが、気温差は麓より10度程度低く、真夏は、避暑地として心地よく過ごすことができます。

 

大江権現(おおえごんげん)
御祭神 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
遥拝所よりさらに登り、御嶽山8合目付近の登山道に鎮座しています。大江権現は御嶽山座王権現38座の一座で、万物生成の力をもち大地の母神である伊弉冉尊をお祀りし、子授け縁結びにご利益があります。
かつて御嶽山は女人禁制でありました。軽精進登山が許された後も、大江権現が女性の結界とされ、此処より上に登ることが許されておりませんでした。女性が頂上へ登れるようになったのは、明治10年代以降の事であります。

 

 

金剛童子(こんごうどうじ)
御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
大江権現をさらに登り、標高、約2,400メ-トル付近の登山道に鎮座しています。
金剛童子は御嶽山座王権現38座の一座で、万物生成の力をもち大地の父神である伊弉諾尊をお祀りし、周囲には、蔵王権現、意波羅天、摩利支天、日之権現、弘法大師、指徳大神が祀られています。
これより上を「山中」といって、御嶽山の神々が鎮座する特別な場所として神聖視され、登拝する信者は、新しい草鞋に履き替え、服装を整えたとされます。また、これより上では用便は紙の上でしなければいけないという禁制がありました。

 

 

 

中央不動(ちゅうおうふどう)
御祭神 不動明王(ちゅうおうふどう
御嶽山9合目に鎮座する中央不動には、中央大日大聖不動明王が祀られています。
不動明王は、御嶽蔵王権現38座の日之権現に祀られていた大日如来の化身ともいわれ、憤怒の姿をしており、民衆を教え導きながら、人間界の煩悩や欲望を聖なる炎で焼き尽くすといわれています。

 

頂上奥社(ちょうじょうおくしゃ)
御祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大己貴命(おおむなちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
御嶽山王滝口頂上に鎮座し、文武天皇の御代大宝2年(702年)信濃国司高 根道基により創建されました。光仁天皇の宝亀5年(744年)信濃国司石川朝臣望足が勅命を奉じ頂上奥社に登山し悪疫退散を祈願され、延長3年(925年)には、白川少将重頼が登山し 神殿を再建。応保元年(1.161年)には、後白河上皇の勅使が登山参拝されました。
頂上奥社は、昭和54年の御嶽山噴火、昭和59年の長野県西部地震と度重なる災害による被害を受けましたが、平成13年に全国の信者の寄進により社殿と修復整備が行われました。しかし、平成26年9月27日の噴火により再び被災。令和2年7月、全国の崇敬者により社殿が再建されました。